楠三兄弟物語

楠三兄弟物語 表紙
南北朝の動乱期に 心根のやさしい 親孝行な三兄弟がいました。 長男、正行 次男、正時 三男、正儀。
父は楠正成。 河内の土豪だった正成は 後醍醐天皇に召され 以後忠誠を貫き通します。木の南に設えた王座に 案内される夢を見た 木に南と書くのは楠! 楠正成を呼べ!
当時2つに分裂していた天皇家。 天皇中心の政治を目指した 後醍醐天皇は、 倒幕を企てますが失敗。そんなピンチの時も 悪党※的な正成は、地元の 農民や野伏、山伏などと 連携し、奇策、智謀を用いて 後醍醐天皇を支えます!
※悪党 幕府や朝廷の支配力が及ばない人たち。 再起を図った後醍醐天皇は 幕府に不満を持つ 武士たちを集め再び倒幕へ。 足利尊氏や新田義貞も挙兵 ついに鎌倉幕府を倒しました。
鎌倉幕府滅亡後 京都に戻った後醍醐天皇は 公家中心の政治を行い 武士社会の慣習を 無視したため、武士たちの 不満が募っていきました。
新政への不満を持つ 武士たちをまとめた尊氏は 武家政権の再興を図り挙兵します。 正成は尊氏との和睦を提案しますが受け入れられず 九州で勢いを盛り返す尊氏の大軍とまともに戦っても 勝ち目がないと「帝の比叡山臨幸策」を献策しますが 退けられ、不利な条件での決戦を命じられます。
桜井の別れ いかなる命令であれ 勅定に異議を唱える つもりはない正成は  死を覚悟して出陣を決意。 長男正行に 帝から賜った短刀を与え、 今生の別れを告げました。
少ない兵の中から、出陣より多い護衛の兵をつけて 息子を故郷に帰した別れには、自分が死んだ後も 楠一族が滅びるまで天皇をお守りするのだという 大責任を継承させる強烈な願いが託されていました。 湊川の戦い ケタ違いの大軍にも 最後まで天皇に背くことなく 堂々と戦った正成は、 最期は弟の正季と刺し違えて討死。 後醍醐天皇は敗退しました。
京都を制圧した足利尊氏は 光明天皇を立て室町幕府を開きます。 敗退した後醍醐天皇は 吉野の山中に逃れ 南朝を開きました。
湊川の決戦後、尊氏の温情により 正成の首級が帰ってきました。 父の変わり果てた姿を見た正行は、 悲しみのあまり形見の短刀で 腹を切ろうとしましたが 「桜井の駅で父は死ねと教えられたか?」と 母に訓戒され、父の遺訓を胸に 強く生きることを決意します。
楠親子は観心寺の僧に師事。 四恩の教え※など一人の 人間として生きる全人格的な 人間教育を受けていました。 父亡き後も三兄弟は 文武の道に励みました。 ※親の恩、国王の恩、衆生の恩、三宝の恩  正成が敵味方問わず供養塔を  建てたのは四恩の教えの影響。
正成亡き後、後醍醐天皇崩御。 南朝第二の天皇として 後村上天皇が即位。 正行は弟たちと一緒に 南河内中心に勢力を盛り返し 南朝の支柱として 戦い続けます。
内侍との出会い とても世に ながらうべくも あらぬ身の 仮の契りを いかで結ばん 吉野朝廷に仕える 大変美しい女官「弁の内侍」を 見染めた北朝の高師直が 拉致を企てますが、吉野へ行く 途中に出くわした正行が助けます。 内侍は正行のことを密かに慕い 後に二人のことを知った 後村上天皇から 「内侍を正行の妻に」とのお言葉が ありましたが、死覚悟の戦いを 決意した身で妻を迎えるわけには いきませんと辞退します。
北朝は勢力を増す楠軍たちを恐れ 討伐軍を繰り出しますがいずれも敗退。 渡辺橋の合戦でも 楠軍は勝利しますが この時、正行は、父正成と同じように ケガ人や川で溺れた敵兵を助け 手厚く介抱して帰します。 その恩に報いていこうと決意した兵が 後日楠軍に加わっていきました。
楠軍勢力増大に、ついに 足利尊氏が楠正行討伐を決意。 正行は父正成と同様、 和睦や大軍を迎え撃つ 戦略を献言しますが 受け入れられず、死を覚悟の 出陣を決めます。
戦いの前に吉野の皇居へ 後村上天皇に拝謁。 滅多にあげることのない 御簾をあげて正行らに 「汝は股肱の臣、必ず生きよ」と お声をかけられましたが 正行たちの決死の覚悟は 変わりませんでした。
出陣前夜、正行は内侍に 父の形見の短刀を渡し、 自分の形代にして欲しいと 伝えました。 内侍は正行の討死を知ると 形見の短刀で髪を切り 尼となって菩提を弔いました 大君に仕えまつるも 今日よりは 心にそむる 墨染めの袖
出陣当日、後醍醐天皇陵に 参拝し、同行した143名の 武士一人一人が自らの手で 名を記した過去帳と 各々切った遺髪を奉納。 正行は如意輪寺本堂の扉に 鏃で辞世の歌を刻みました。
正行は桜井の駅で 父が自分にしてくれたのと 同じように、少ない兵の 中から、出陣より多い兵を 河内の留守部隊に残し、 三男正儀に父の遺訓を託し 次男正時や和田賢秀らと 共に出陣します。
四條畷の戦い 大軍との死闘を 展開するも 圧倒的な兵力の差で 正行一族は敗れ、 父正成と同様 正行、正時兄弟は 刺し違えて討死します。 大将高師直の首を 取ったと思いきや 影武者の上山六郎左衛門。 「情けは人の為ならず」 ※和田賢秀は噛み付いて  死ぬまで敵を睨み続けました。  賢秀の墓は「歯神さん」と  祀られています。 正行、正時兄弟は 弓の名人須々木四郎の矢を たくさん受けて力尽きます。
正行・正時死後、高師直は 南朝の吉野全山を焼き討ち 楠・南朝残党の徹底した 掃討戦を行います。 正行の後を継いだ正儀は、 以後38年の間、4度にわたる 北朝から京都の奪還と、 粘り強い和平交渉を続け、 父、兄にも劣らぬ軍略で、 南朝を支え続けました。
父の意志は息子たちへ さらにその子孫へと 受け継がれていきました。 南北朝動乱期に 父正成が息子たちに 本当に伝えたかったこと 息子たちが受け継いだものは 天皇への忠誠と共に 和睦により戦を避け 領土、領民の平和を守り 家族の幸せを願うこと だったのではないでしょうか?
楠親子ゆかりの地

絵と文 イラストライター こゆり

監 修 四條畷楠正行の会 代表 扇谷昭

歴史家・城郭石垣研究家 吉信勝之